ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。
この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。
匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディアで展示を公開しても、状況はそんなに変わらない。IDの追跡が可能になってしまうと、今度は逆に、あえて押してみせることを、一種の表現として利用しようという人が出てくるだろうから、金魚の命運は、やっぱり危ういままになってしまう。
恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる。
売名目的の人にしてみれば、自分の名前が公開されない可能性があるならば、自分の行為が無駄に終わってしまうリスクがあるし、怖いもの見たさの人は、「10人のうち1人」という理不尽さがためらいを生んで、やっぱりボタンは押せないだろうから。
完全匿名も、完全公開も、「完全」が、ルールに対する過度な信頼を生んで、常識の垣根を踏み越えて、ぎりぎりまでやる人たちを生み出す。確率論的な理不尽さを持ち込むと、ルールはもう、誰からも信用されなくなる。ルールに対する不信が自制を生んで、自制は落としどころとしての常識を生み出していく。
賢い人は、公正なジャッジのいないところでは、喧嘩はしない。
【エロ本と放射性物質は似てる】
・厳重に保管しなければならない
・使用後の処分がたいへん
・屋外で高レベルなものが検出されることがある
・規制値を超えたものは出荷を制限
・子供には特に悪影響とされ賛否の議論がたびたび起きる
・おもに発電に利用される
・日本だと重要な部分は隠蔽されてしまう
・外国の情報のほうがはっきり見える事が多い
有名なテレビドラマの「ルーツ」でも白人が奴隷狩りをやっている場面がある。
主人公のクンタ・キンテが捕まる場面でも白人が現地まで捕まえに来ている。
だが実際には白人は奴隷狩りはほとんどやらなかったらしい。
黒人奴隷を集めて、ヨーロッパに売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人)や
アラブ人商人である。奴隷狩りをやっていたのも多くは黒人なのだ。
だが大概の日本人は、白人が一方的に平和な黒人世界から奴隷狩りをやったと盲信している。
アフリカ黒人は被害者との固定観念がある。
このように、日本では日本人が気に入った歴史が通説になるのだ。
東ドイツに電車が入り、ベルリンの駅に止まると東ドイツの官憲(シュタージな人もたくさんいたらしい)が乗り込んできて「君たちからパスポートを取
り上げる。君たちを追放する」と宣言して、パスポートを取り上げようとしたが、その必要はなかった。
東ドイツ国民はみんなパスポートを捨てるように投げつけたのである。もうお前なんて怖くないぞというように。
その光景を眺めていた西ドイツの護衛(この人も諜報機関の要員)は一人の40ほどのシュタージの人間が自分に近づいてくるのを見た。
その男の部下と思われる人たちは投げつけられたパスポートを拾っている。
シュタージの男は西ドイツの護衛の人間に近づくと言った。
「彼らをよろしくお願いします」丁寧に敬語に近い言葉でそうつぶやいたのだ。
なにを言われるか身構えていた西ドイツの護衛の人はしばらく意外な言葉になにも言えなかった。
シュタージの男は続けた。
「私はこれでも国民のために尽くしてきたつもりです。党の安定が国民の生活の向上になると信じてきました。けれども我々の力は及ばなかったようです。
我々はこの列車にのっている市民にも幸せになってほしかったのです。だが我々は嫌われてしまいました。我々の努力が足りなかったのでしょう。彼らにこの国
での生活よりも
よい生活をあたえてやってください。彼らにはその資格があるでしょう」
西ドイツの護衛は今まで敵対し続けてきた東ドイツ政府のこのシュタージの人間の率直な反省の言葉に嘘はないと感じた。
「わかりました。彼らによい生活をあたえると約束します。あなたもいつかこちら側にこられるといい」
と答えるとシュータジの男は、
「いえ。私には責任があります。最後までこの国を守らなくてはなりません。そちらにいくとしても最後の一人としていきますよ」
と答えた。
某作家がTV関係者に聞いたという話。TV東京系『カンブリア宮殿』は視聴率が1桁なのにCFスポンサーが殺到していると。対照的におバカタレントの出る番組はその真逆。その理由は何か。購買力の高い層が見る番組はたとえ数%でもユーザ数ではものすごく、かつ実際に売上数字に出てしまうのだとか。
サイバーパンクの世界だと貧民はいいところ遺伝子組換え食品。合成たんぱくとかのフェイクばかり食う。本物、天然物を食えるのは上位階級の人々って描写があるので、「日本は、労働者が本物のビールを気軽に飲めない」というのはある意味サイバーパンクな時代になったと
教育というものは、男にとってオッパイ以外のことを考える修業である。気を散らすために大して役にも立たないことを覚えさせられるのである。それさえ授業を始める前に説明してもらえれば“何のために?”とか、若い頃、悩まずに済んだはずだ。
それにしても“オッパイ”はいい。歳を取れば取るほど思うのは、どんどん教育から解放され本能に戻るからだ。
親類の故陸軍少尉と会食したことあるけど「日本男児は…」とも「昔は…」「戦争中は…」なんて一言も云わなかったな/「もっとお食べなさい」とか中学生の瞳を見て「実にきれいな目をしてる」とか言ってた/あの世代本当に苦労した人が将来に託したものはそういうものだと思うよ (
http://bit.ly/Ani5tH)
つまりおれは聖地巡礼をすることでアニメの儚さを知ってしまったオタのレポートを読みたかったんだよ。行政が用意したアニメキャラのポップと一緒に撮った写真や、三次元より二次元の方が良いと言ってたオタが最終的にコスプレした女性を御輿に乗せて担いでしまうドキュメンタリーなんか見たくないんだ。「鷲宮神社に行ったがこなたはいなかった…」と真っ二つに割れた絵馬と共にコメントを残すようなレポートが読みたかったんだ。そして聖地巡礼で絶望を知った彼を誘って一緒にアニメを見たいんだ。なんなら君も、そう君さ。僕らと一緒に君もアニメを見続けようよ。モニタの向こう側に広がる本当の聖地が見えるまで。